東海道は、現在は多摩川を新六郷橋という長い橋でわたりますが、江戸時代には渡し船が利用されていました。徳川家康が慶長5年(1600年)に六郷橋を架けたのですが度々洪水で流失し、何度も修復されましたが、結局元禄年間以降は橋が架けられなかったのです。

 明治天皇が江戸に入られたときにも、臨時に架けられた船橋を渡御されています。そのときの様子は新六郷橋のたもとの『明治天皇渡御碑』のレリーフで見ることができます。

 川崎宿繁栄の基を築いたのは、六郷の渡船を宿が請け負うことを幕府に認めさせた江戸中期の川崎宿田中本陣の当主、田中丘隅(たなかきゅうぐ)です。丘隅はまた、『民間省要』を著して八代将軍吉宗に認められ、幕府普請役に任命されて多摩川などの治水工事を行い、大岡越前のもとでは支配勘定役も務めました。

 川崎宿本陣として、交通の重要性をよく知る立場にあったからこそ、効果的な交通政策を提言できたと言えます。

(道路文化研究所理事長 武部健一 『東海道絵図を歩く』より)

撮影スポット

多摩川六郷橋のたもとにある明治天皇六郷のわたし渡御の碑

渡御の碑のレリーフ

第一京浜(国道15号)多摩川六郷橋

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